蕎麦屋のカレー

自分も甘かったというか馬鹿だったというか昔、なんかの財団がアーティスト(?)を招いて海外の国の文化省みたいなのと交流させる会に出たことがあったけど何にもならなかった。一点、良かった事と言えば大使館でやったので大使夫人が作ってくれた手料理が美味しくてそれが楽しかったことくらいだ。

大体、なんとか財団とか都とかの芸術なんとかへの助成とかろくなもんじゃない。ひょっとしたら稀に良いものもあるのかもしれないが。どこが芸術なんだよってのばかりに思える、ああいうのが金出してるのって。自分が出た先の会も、沢山人がいたんだ。アートやってるって自分で言ってる人も沢山来てたし、いろんな海外の国の文化交流に関連してる役員みたいのも一杯いた。しかし、あれだけ人がいたのに結局一人とも交流できなかったし、何にも繋がんなかったな。あれ、今でも一体何だったのかわからない。料理のことしか入らなかった、自分には。

海外の文化省みたいな連中も、ホントは日本のアーティストなんかに何も興味なかったとしか思えない。自分の国の宣伝しかしないんだ、彼ら。名目上は日本のアートやってる人と交流ってことで会は催されてるのに。それでその文化省みたいな連中に正月の百貨店のバーゲンセールかってくらいにアートやってるって言ってる日本人がわーっと群がって自己アピールしまくってるの、自分のプロフィールとか持って。列まで作っちゃってさ、アートやってるんだったら列なんか作らないもんだよ。それを列なして我が我がってやってるの見てたら、もう自分が場違い感を凄く感じて、ワインもらって大使夫人の料理食べるのに集中してた。でも、何人か日本人に話しかけてみたりもしたけれど、私は売り込みに忙しいんだから話しかけないでよ!みたいな態度をされたりして、心が薄ら寒くなった。ああいうのにアーティストなんて呼べるのは一人もいないと思うわ。まぁ、そこにのこのこ出かけてった自分も自分で、だから今になって馬鹿だったなーって思い返してるんだけど。

自分は並ぶのも大嫌いだし、我が我がみたいなのやられるのも苦手だし、居場所がなかったんだわ、ほんと。

もう、ああいうのに誘われたりしてももう行きたいとは思わないし、財団とか都や国が助成どうのこうのとか聞くとろくなもんじゃない、絶対精神的なロックやビ・バップ、パンクじゃないなぁって思うようになった。財団とか都や国は金の使い方間違ってる。

今日はうまい蕎麦屋のカレーってのを久々に食べた。京都は色んな所行ってるけれど、久々にこういう蕎麦屋のカレーを食べた。

子供の頃、蕎麦屋のカレーは度々食べた。それがうまいな!とは当時あまり思わないで食べてたんだけれど、近年ノスタルジーというか、記憶の中で子供の頃の蕎麦屋のカレーが熟成されて、最近はそういうのを探している。今日行ったお店は以前も行ったことがあったけどカレーは今回初めて食べた。ここは出汁が京都人からするとすごく甘いらしいんだけど東京の自分にはこれがいいのだ。

で、今日そのお店の初代店主が以前は上野の蕎麦屋で修行してたのを知ってなるほどと合点がいった。カレーも今は色んなスタイルの美味しい本格的なのがあるけれど、蕎麦屋のカレーってのはいいもんだ。

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